Sunday, April 10, 2011

うたうこと To sing

世の中がこんななのに、とこんなだから、の間で心の中で葛藤してブログも何となく書かずじまいのここ最近。でも、ありがたいことにブログの更新をこっそり楽しみにしてくれてる人もいるので自分を奮い立たせてみる。
いっぱい休むと勇気がいるなあ。

日本に住む友人が今月結婚する。予定通り。しかもたまたま私の誕生日に。
これもこんなときだけど、とこんなときだからこそ、の間の決断だよね。
なので私もお願いされてたように、彼女の結婚式のために準備していた曲を仕上げた。

歌なんて、としょっちゅう思う。
私の歌なんて、へなちょこで、ちゃらちゃらしてると思う。
3/11のすぐあと、チャリティイベント開催に奔走してた二週間くらい、
歌の入ってる音楽が全然聞けなかった。なんだか辛くて。
ブラームスとベートーベンだけがかろうじて私と寄り添ってくれていた。
風邪が治ってしっかりしたものが食べれるようになっていく過程のように、
すこしずつ明るい元気一杯のものや、歌が聴けるようになった。
自分も歌うようになったのはもう少しあと。

3月の最後の週、国連のインターナショナルスクールでの日本文化紹介イベントに知人の誘いで出演させていただき、その場でもやはり震災を悼み励ます内容を演奏しました。
歌をうたう自分ですら、こんななのに、一体私の歌が何の役に立つのかな、と演奏前まですこし考えてしまった。

でさ、どんなに辛くてもうたってると自分のからだが芯からがうんと喜ぶのが分かる。
春の水にさわる起きたばかりの冬眠してたけものみたいな。
それが悪いことみたいな気がしてしまう。楽しんでしまう自分の罪悪感みたいな。
でも、それが歌うことなのかも。他の人に伝える前に媒体の自分の体を喜ばす。
だったら、ごちゃごちゃ考えるのはもうやめよう。
だってもともとあんまり深く考えられないから歌ってるんだし。

音楽は癒し、とよくいうけど、
何かを癒すときって本気でエネルギーのかかる仕事だと思う。そんなぬるいものじゃないんじゃないかな。
個人的なことばかりの歌ばかりの私には遠いところまで祈りを飛ばすほど大それた歌は歌えないと思う。
でも、目の前にいるお客さんの気持に寄り添いたい。せめて。
個人的なことをうんとつきつめると普遍につながるはずだから。
歌は、手紙みたい。
おしつけたくないけど、私の見るもの感じるものをただ分かち合えたらいいな、と思う。

うまくまとまらないけど、ここ一ヶ月沢山考えたことでした。
外は桃とハクモクレンがきれい。桜も時期満開かなあ。
また近々書きます。


2 comments:

  1. 信じるか信じないかは。。。というところなんだけど、
    お経やお祈りも効果はあるのだけれど、
    音楽や歌ほど、直接的に亡くなった方達の御霊に届くものはないって、ついこの間、人から聞きました。その場にいるお客様ももちろんなのだけれど、私は最近、震災で亡くなられた方々の魂に届け〜〜〜って思って歌ってる。一日でも早く安らかに天国に昇ってもらって、世界を守ってもらいたいもの。

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  2. 多分ね、大きくみるとさちえちゃんの言うことも同じことなんだけど、食べることを作る人にたとえるとね、世界で飢えてる人を救うか、街のパン屋さんに徹して身近な人の体と心を作ることに集中するかでいうと、私は街のパン屋さんになりたいんだと思う。祈りもお経も、大事だと思うんだけど。それとともに、なによりもまず、目に見える手の届く範囲のできることをきっちりやりたいなって思いました。。果として、ぐるぐるめぐって大きな目に見えない上へ届いたらいいけど、すこしまだ私には大きすぎることみたい。
    皆がそれぞれ小さく見えても大きく見えてもそれぞれの自分の役目を果たすのが大事なんじゃないかな、と思います。

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